泉ヶ丘中に赴任して最初に教えた2人組。
シンナー大流行の頃の荒れた学校で散々な修学旅行をやっと終えて帰って来たとき、
「終わってしまって悲しい!
もっとみんなと一緒にいたかった!」
と、涙ポロポロこぼしてた子やったなあ。
広島原爆ドームも原爆資料館も行ったはずやけど全く記憶無し。
一泊目の宮島の旅館で、夜中に引率センセ全員集合がかかって
「明日、もう全員連れて帰ろう!」
と、団長の教頭センセが言い出して、真剣にどうするか話し合ったりもあって…
それほど、ひどかった旅館での騒動‼
もちろん、その旅館には次回からの使用は断わられました…
なんとか翌日は、秋芳洞から萩で2泊目。下関やったか門司やったかから夜フェリーで帰り、早朝大阪港着、バスで帰校するスケジュールをとにかくこなしたわいな。
フェリーでも大変やったわ。寝るかいな!
ついに「公安官」みたいな方がビシッと白い制服で注意に来はってから、やっと静かに寝出したんやった。
もちろん、その旅行コースはそれっきり。
貴重な写真!秋吉台でヤンチャな奴らと。
そんな修学旅行に感動して泣いた子の存在に24歳だった私は『子どもから見る目と、教師から見る目』の真逆さを学習した貴重な体験‼
この年のクラス担任で学習した経験は、それからの教師生活のバックボーンとなったのでした
次の修学旅行コースは、長野美ヶ原、立山室堂から雪道を歩いてみくりが温泉に。このコースは山小屋ばかりの泊でよかったし、大自然に子ども等は、圧倒されてました。
子どもには自然が似合うね❗
【本日の Good job✨】
ビックリ仰天のお客様。
男山3中時代に転勤した年の学年主任さんでした。
「駐車場収入だけで充分食べていけるのよ、あなた!」
なんて、言わはるお方でした。
当時、"土井たか子さん"ブームの頃で親しい間柄だったことも思い出しました!
小学校の校長センセで定年退職されて、今でも八幡市内の中学放課後学習ボランティアしたり、家でライブしたり活躍中❗
いつまでも若々しくお元気で