作家「辺見庸」氏が朝刊に「個としての自分に何ができるか」論を寄せている。
この人の講演を昔だけど聴いたことがある。
アフガニスタンに大量破壊兵器があるからとアメリカが必死に空爆 していた頃のこと。
9・11で死亡し人数が取りざたされているがすでにアメリカはその何10倍もの人間を空爆で殺してしまっていることや、アメリカは白人国は決して敵にしないことや、共同通信社の特派員として経験したことや、政府に都合の悪いルポは命がけで書かなければならない現実などを聴いたのだった。
「私たちは、どうすればいいのでしょうか?」
と、聴衆の一人に質問されて
「木々の葉っぱがざわつくように、一人一人の個人が知り得た真実をささやくのです!
それしかありません。」
その後、何冊が著書を読んでみたら、辺見ワールドは独特でしたわ。
生死に関わるような大病 されてから復活して、民主主義形骸化に警鐘を鳴らし続けてはることに尊敬の念を抱くばかりです
『今のメディアは、ジャーナリスティックな発想の膨らみを失ってしまった。物事を批判的、懐疑的に見ることがほとんどなくなり、官報化している。福島原発事故の報道などがそうです。』
そんな今の社会に処方箋はあるか?
に答えてはる。
『戦後の社会システムに根差した連帯や絆などの関係性は虚構だったと思う。
誰かと連帯して闘うとかはあり得ない。
「個」としての自分がどう関わるか、何ができるか、そこでやるしかない。』
以前聴いた講演の質問の応えと同様なんだけど、「個」が連帯して集団になることを否定してはるわけやないわなあ。
そこんとこを本人に聴きたいと思いながら、お元気で活躍してはることにまず安心したことでした。
辺見論文の横に
この記事。
京都新聞てやりますなあ。
【本日の Good job✨】
母と「カナマロン」にピザランチに出かける。
同志社山手に入る反対側の林の中、シチュエーションは抜群。
住宅地なんやけどここだけ森状態。
マルガリータ美味しい!
プロシュートじゃないのと、ルッコラが無いのが残念!好みの問題かな。
温かいログハウスの
ホッコリ夫妻のおもてなしでした!
この人の講演を昔だけど聴いたことがある。
アフガニスタンに大量破壊兵器があるからとアメリカが必死に空爆 していた頃のこと。
9・11で死亡し人数が取りざたされているがすでにアメリカはその何10倍もの人間を空爆で殺してしまっていることや、アメリカは白人国は決して敵にしないことや、共同通信社の特派員として経験したことや、政府に都合の悪いルポは命がけで書かなければならない現実などを聴いたのだった。
「私たちは、どうすればいいのでしょうか?」
と、聴衆の一人に質問されて
「木々の葉っぱがざわつくように、一人一人の個人が知り得た真実をささやくのです!
それしかありません。」
その後、何冊が著書を読んでみたら、辺見ワールドは独特でしたわ。
生死に関わるような大病 されてから復活して、民主主義形骸化に警鐘を鳴らし続けてはることに尊敬の念を抱くばかりです
『今のメディアは、ジャーナリスティックな発想の膨らみを失ってしまった。物事を批判的、懐疑的に見ることがほとんどなくなり、官報化している。福島原発事故の報道などがそうです。』
そんな今の社会に処方箋はあるか?
に答えてはる。
『戦後の社会システムに根差した連帯や絆などの関係性は虚構だったと思う。
誰かと連帯して闘うとかはあり得ない。
「個」としての自分がどう関わるか、何ができるか、そこでやるしかない。』
以前聴いた講演の質問の応えと同様なんだけど、「個」が連帯して集団になることを否定してはるわけやないわなあ。
そこんとこを本人に聴きたいと思いながら、お元気で活躍してはることにまず安心したことでした。
辺見論文の横に
この記事。
京都新聞てやりますなあ。
【本日の Good job✨】
母と「カナマロン」にピザランチに出かける。
同志社山手に入る反対側の林の中、シチュエーションは抜群。
住宅地なんやけどここだけ森状態。
マルガリータ美味しい!
プロシュートじゃないのと、ルッコラが無いのが残念!好みの問題かな。
温かいログハウスの
ホッコリ夫妻のおもてなしでした!