稲垣恭子という京大教授(教育社会学者)が朝刊に
『藤圭子の孤独』
という論文を載せている。
「…年齢にそぐわない歌のうまさやそこから滲み出る情感とこころここにあらずという風情で遠くをみているような眼のアンバランスさが印象的だった。
今そこで歌っている自分自身の存在を否定しているように思えて、不思議な気持ちでテレビの画面をみていた。
…学生フォークバンドやニューミュージックが広がって行った時代でもある。
天地真理や南沙織といったアイドル歌手も大人気だった。
藤圭子の登場にはそういう時代や社会への違和感を体現するような独特の迫力を感じさせるものがあった。
…歌とともに、彼女の生い立ちを含む存在そのものが消費されることによって、そのイメージも定着していく。
しかし、歌手としてスターダムに上がっていっても、歌っている時の所在なさそうにも拒絶的にもみえる雰囲気は変わらなかった。
物語化された過去の自分も、華やかな現在の自分も、受け入れることができない。
どこにも所属感覚をもてない孤独が感じられるような気がした。
だからアメリカに住むようになったというのを何かで知って、やっぱりと納得がいった。
…これまでの自分を捨てて新しい自分に生まれ変わりたいという願望の表現だろう。
生前、その願望はいくらかでも達成することができたのだろうか。」
♪15、16、17とあたしの人生暗かった~♪
と、ドスの効いた声で歌う藤圭子を稲垣恭子さんと同じ思いで見聞き したものだった。
み~んな浮かれていた時代やったから、不思議な不安感が藤圭子にはあった。
やっぱり!
藤圭子らしくいってしもたかという思いである。
世界は全く違うが、
「太地喜和子」
が、事故で亡くなった時に感じた感覚に似ていると思えるのは私だけか?!
【本日の Good job✨】
この不気味な空の最中に、必死でシフォンケーキを焼いておりました。
なんとか無事完成!
紅茶パンナコッタも作りましたです。
誰が食べてくれるのか楽しみにして