朝日新聞が「スポーツと体罰」について識者の意見を連載してる。
今朝は、学校体育同志会「子ども・スポーツ・社会」の分科会仲間の神谷さんの意見だった。
部活について述べ合ったのは、まだ彼が20代だった。
要約すると、
日本のスポーツは戦前から学校が発展をになって来た。
学校でスポーツがなされるために教育的な理由が必要だった。
それが「道徳的な心の教育」。
教師に従順な態度をとるまで体罰は当たり前だった。軍隊と同じ。
戦後も心を鍛えるという部活動の位置付けは変わらず。
1970年代から内申書・調査書に対外試合の成績を記載されるようになる。
好成績をあげて進学につながれば、親は体罰も認め教師に感謝するようになる。
校長も学校の名声を高めてくれる教師には一目置くようになる。
体罰情報が寄せられながら「ぬるい調査」しかしなかったのも大阪市の公立のPRに貢献しているという環境があったからという見方ができる。
やってもやらんでもいいという部活動は、学校教育内容に具体的に位置付けられていない。
大学の教職科目にも部活動をしっかり扱う講座はない。
部活動でどんな内容を、どう指導するのか、多くの教師は経験で指導する。
体罰を受けた者が体罰をする連鎖を生んできた。
「技術だけでなく、心も俺が育ててやる」
という顧問のおごりと切り離し、生徒の自治活動の一環であるとの認識をもつこと。
生徒たちが自分たちで運営して強くなるためのサポート役に教師が転じるためには、教師自身の自治感覚を磨く必要がある。
そのための学校・教員養成の環境を整備するべきなのだ。
神谷さんの意見に賛成
ただし、桜の宮だけでなく、当たり前にシゴキと体罰でいわゆる発展してきた学校部活スポーツを変えるためには、まだまだ気の遠くなる学校改革がいるわ。
自治感覚をもった教師はいるにはいるけど、出世から外されるのが関の山やしなあ。
土台がそのままで、わしのいうこと聞かんやつは給料出さんいう橋下さんのやり方そのものも自治感覚から外れてるし。
大部分の先生たちが体罰なしでコツコツやってる部活指導、健闘を祈ろう
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カフェ用にええがな。