あまりにも使われすぎて嫌になる言葉、『絆』。
まだ小学生の頃、醤油や味噌が足らんかったら隣に貸してもらいにいってたし、テレビまで近所の金持ちの家に見せてもらいに行ってた。
吉永小百合が出てた「赤胴鈴之助」や、力道山のプロレスに興奮していた時代。
「おばちゃーん、テレビ見して!」と当たり前のように他人の家に上がり込んでいた。
「お風呂ど~ぞ~!」て声が聞こえたら、「はぁい、おおきに!」と、
お風呂も隣にもらいに行ってたなあ。
高校生くらいまで電話も借りに行ってた。しかも、「○○さ~ん、電話やで~!」と呼びにきてもくれてはったな。
そんなことは、『絆』なんて言わんでもどこでも見られた風景やった。
昭和30年代までは隣近所のコミニュケーションは盛んだった。
国際日本文化研究センター教授(そんな教授がいる‼)の井上章一氏は、今の時代を、
「あなたのプライバシーは邪魔しません、強い絆は求めていないから安心して」というのが社交の要。だからこそ、直に出会う肉体同士のやりとりにより値打ちが感じられる。
と、言ってはる。
そして、
経済成長とともに絆を捨ててきた日本社会の変容を見なければ。
絆は失われてから尊く見える。まちには責任回避の声があふれてきているから。
とも。そういえば、『自己責任』という言葉をよく聞くな。
教師してた時はもちろんやけど、カフェしてても要は人間関係が大事だと思い知らされる。
煩わしい人間関係を大事にしたいと今の風潮とは逆に強く感じた、京都新聞の記事でした
【本日の Good job✨】
グランリュでお茶する。
マスター夫妻、今年もどうぞよろしくお願いします
マスターの辛口アドバイスを楽しみにしています!
四季菜市場の若大将、安くて美味しい野菜情報ありがとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします
和歌山ミカン、ほんま甘くて美味しかった!完食してしまいました。