鷲田清一(わしだきよかず 京都市立芸大学長 哲学者)さんが新聞紙上で、こんなこと言ってる。
《子どもは、我を忘れて何かに没頭しているかと思えば、すぐ飽いて別の小さな異変に気を奪われる。
ほどほどということを知らず、まるで上の空である。
学問に限らず職人仕事もそう。
作業がおもしろくてたまらないというその核には、「夢中」になれるという幼稚性がある。
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すべてを投げ打ってできる仕事にはもう一つ共通点がある。
いかなる作業であれ、究めるという行為の前ではみなが平等だということだ。
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報告書の作成とか評価制度への対応とかで、すぐに「研究」の成果や「進歩ぐあい」を問いただされるような昨今の研究環境は、学問になくてはならないこうした幼稚性と平等性とをもはや許さない。
………
学問はい ま、あやうい所にさしかかっている。》
学校教育現場が、〈数字を出せ‼️〉的な指導に変わり始めて久しい。
今日言うて、明日成果出せ‼️と。
中学生に言うて、今わからんでも、ハタチくらいか、結婚するくらいか、子どもが出来るくらいか、いつかは分かってくれると思うことがようあったもんや。
ほんまに学問は、あやうい所に来てる気がする。
【本日のGood job✨】
ミント・ティーも美味しい
ケーキのバリエーションがいつもながら素晴らしい
枚方氷室《ココロネ》やら、大阪北中崎《ココア》のママンの友人のみなさんと話す。
思いがけず楽しい時間を過ごせるて、いい気分だね