ヤッさんが逝った。
覚悟はしていたがヤッさんのことやし、ひょっとしたら不死身なんかもしれんと、期待もあったが。
数日前に入院先からハンバーグの注文があり、この時一緒やったヒメちゃんがkinco-yaまで取りに来てくれて届けたばかりだったのに…
同い年やった
京田辺体育協会の重鎮でもあった。
40代まで"大住クラブ"というママさんバレーのチームのアタッカーでブイブイいわしてた
全国大会目指すようなチームやった❗️
ライバルのチーム"ニューたなべ"が全国大会に行き、今は無き〈中心山荘〉で祝賀会をやったことなんかを思い出す。
そのヤッさんと一心同体と言われていたK女史から50歳以上のシニアチームに私も誘われて、全国を目指すことになったのだった。
ヤッさんがレフトアタッカーで私がライトアタッカーだった
近畿大会止まりで全国には行けなかったのだが、懐かしい昔のシーンが蘇る。
私と同じバスケ出身のヤッさんと、ズッとセッターとアタッカーとしてはもちろん、私生活でも切っても切れない関係だったK女史。
すでに70歳を超えてるK女史は、まだバレーをしてるほど元気で若い。しかも、ユーモアたっぷりにハッキリ物を言う。
そのK女史の涙を初めて見た日でもあった。その様子に泣けた。
出棺を見送りに外へ出ると大雨だった
ヤッさんの逝った日も大雨やったらしい。
ヤッさん、お世話になりました。
向こうから、
『アンタ!何してんの❗️』
と、ハッパかけておくれね
【本日の Good job✨】
告別式の後、仕入れ買い物してカフェでケーキを焼き終えた頃、
と、この方が入ってきた。コーヒーを飲みながら話す。
南丹市から、興戸の息子宅に行く時間待ちらしい。
蕎麦屋『みこく』を紹介しておいた。
今日中にまた南丹市まで帰るのに、京都縦貫道がどんだけ便利かという話やら、川合くん作のテーブル・イス・カウンターの素晴らしさやら濃厚なお茶タイムになったのだった。
また、お越しやして下されませ