いくよ・くるよコンビの"いくよ"さんが逝った。
67歳、同い年である。
小さな頃から刈り入れのすんだ田んぼで男の子たちと、竹バットとゴムボールで三角ベースや、変形野球をやっていた私は、中学に入ると迷わずソフトボール部に入った。
一つ上の先輩たちにメンバーが揃っていて、相楽の地に敵はいなかった。もちろん私は、1年からレギュラーだった⚾️ハイ、自慢。
木津高校生になったが、その先輩たちが丸ごといたソフトボール部に入部。
ピッチャーに素晴らしい速球を投げる他の中学出身の先輩がいて、チームは更に強かった。
2年生で京都府の公立大会ではトップに立った。ショートで1番バッターが定位置だった。
私学では家政学園(今の文教)、京女、明徳(今の京都明徳)が強かった時代。
チームとして最強だった2年生の時、インターハイ予選やったかの大会で明徳のゾーンに組み込まれ明徳と対戦したことがある。
誰もが、明徳の勝利を確信していた。審判の方々も。しかも、明徳グラウンドだった。
田舎の木津高てどこ?みたいなムードの中でなんと、私たちは見事に勝利したのだ‼️
ピッチャーがこれ以上の出来はないくらい絶好調だったのだ。
今でも、ピッチャーだった先輩Fさんのその時のフォームや、スパイクのガッガリッという音がハッキリ蘇る。
しかし、その後のゲームは全く覚えていない。インターハイには行ってないから、どっかに負けてるんやけど。
「スラムダンク」で初めてのインターハイに出場した湘北高校が秋田代表、優勝候補No.1の山王高校を死闘の末破った翌日、愛知の代表、愛知学院に大敗する感覚やわ。
ちょっと、例がよすぎてごめんやけど…
初めて強豪明徳に勝利したあの時、後の"いくよ・くるよ"さんたちは、その明徳チームにいたのだ。認識してないけどね。
翌年、3年チームになった時、明徳はピッチャーいくよさんでインターハイに出場。
優勝戦までいったんじゃないかな。
【本日の Good job✨】
株式会社イーフロッグから、カフェの顧客獲得拡大のために、毎月インターネットでお店紹介します❗️と、来店されたアヤカ嬢。
ごめんな、せっかく来てもらったのにお断りして。
中学時代は、しょっ中、大住中・倍良中に練習試合に来てたらしい。
暇すぎても困るけど、忙しすぎても困る店には、ネットは似合わん気がしますねん。
ゆっくり喋れて顔の見えるカフェ目指して行きますわ。