なんと、5:00過ぎからの
大阪も近いね。
阿倍野の上本町六丁目、いわゆる上六。
これから、懐かしい顔のラッシュなり‼️
今、全国的に注目されている京田辺出身の中央大学陸上選手『ヘンプヒル・恵』が強力ライバルになる100mハードルの選手を育てているそうだ。
奥さんも、未来中学校のカウンセラーだそうな。
S氏は元京都市立中学校教師。たまたま持ち手がなかったサッカー部の顧問になった時、後に全日本のサッカー選手になり、キャプテンも務めたナントカ(名前忘れた)
がいて全国大会まで行ってしまった経験あり‼️
『子ども・スポーツ・文化』
分科会のリーダーで、いつも基調報告してもらってばかりでスンマセンでした
右側にいるのは京都乙訓支部のN氏。この方の春歌は天下一品
実践は本格的だし、おもしろいし、リーダー性抜群だし、こんなセンスを持ち合わせているセンセが増えることを期待して大阪を後にしました。
同志会の今後の発展を祈ってます
【本日の Good job✨】
その昔、子どもの頃、大阪といえば私の中では住んでいた加茂町や、木津町からは天王寺だった。
国鉄関西線だったから。
阿倍野と呼ばれる地域であることを大人になってから知った。
短大時代に学校は阪急沿線だったから、大阪は梅田になる。梅田は、大阪の北にあり、南の大阪はミナミだと呼ばれることも初めて知る。
近鉄で丹波橋まで、京阪に乗り変え、四条まで。阪急四条駅まで少し歩いて、京都線に乗るのだった。
ミナミの大阪に出ることが増え、難波、心斎橋となり、近鉄で奈良西大寺で乗り換えて学園前やら、生駒やら、石切やらを通り、東大阪のゴチャゴチャした街並みをみながら行くことになったのだった。
20年ぶり位の近鉄大阪線、いや奈良線だったんやろか?
片町線時代の大阪は遠かったけど、学研都市線になって、しかも東西線までつながると、今では大阪は京橋経由となる。
30分かからない。
田舎娘が大阪に行く方法を増やしていくのは、大人の階段を登る感覚と同じように思えるわ。
私は、そうやって大人になったのだった✨
東京に行くと、あまりの私鉄やらJRやらの線が多くて、まだまだ子どもである。