午後、今年初めて作家殿が現れた。
「今朝、ほんやら洞が焼けたらしい。
中川五郎から、どないなってんのか知らんか?ゆうて連絡入ってわかったんやけど、
まだ甲斐に電話してないんや。」
と、おっしゃる。
"ほんやら洞"とは、1970年代にフォーク歌手の岡林信康さんたちが手作りで開いた店。
ベトナム反戦運動、詩の朗読会、自主映画会、フォークライブ、時事・政治問題など京大西部講堂とともに若者たちの「対抗文化」(カウンターカルチャー)の象徴やった。
現在の店主は、写真家の甲斐扶佐義さん。
甲斐さんと言えば、思い出す言葉がある。
かつて、同志社大が田辺町に(現在は、京田辺市)移転する時、反対運動が学生たちから起こり、同志社学生たちが出入りしていた"ほんやら洞"店主の甲斐さんが言った。
「校舎の移転なんかすぐ出来る!
しかし、街のカルチャーまでは移転できないのだ!」
確かに、同志社大の一部の学部は京田辺市に移転してきて久しいが、今出川カルチャーまではなかなか…
kinco-yaのあり方も新しい考え方ができるね。
そこで三線ざんまいらしい。
武道家として、沖縄米軍普天間基地に演舞披露にいけると嬉々と報告してくれる。
「オスプレイにのりたかったら、頼んだげんで」
と、屈託ない。あのな、H男。
やめとくわ。
年末女4人、宇治槇島中の女の子4人と忘年会やつた、なんで俺もてるんかなあ?やて。
今年もモテキでいきなはれ!