昭和47年から13年間勤めた中学校の教職員OB会が、京都グランドホテルで開かれた。
毎日、吹き荒れる校内暴力をなんとか乗り越えて学校再生を目指した合言葉が、
「誇り高き泉ケ丘を!」
だった。
当時の卒業式で、教職員構成詞にして披露したら、卒業生は勿論、親も来賓も涙、涙の感動的な式になったのだった
それからは、毎年、あらゆる事件も卒業式の一日を思い浮かべながら、日々の苦労を必死で取り組める感覚が芽生えたとも言える
熱い日々の苦労が、たった一日の卒業式の感動で癒えるのだった。
確かに苦労をかけたヤンチャほど、大泣きやったから…
私の教師としての原点やった、
「誇り高き泉ケ丘を!」
当時の生徒が、今は、そこで教える立場にいるのも嬉しい
私の転勤した後、新しいメンバーが脈々と続く…
大阪維新の会が打ち出している、親や子どもたちに教師の否を訴えさせるような対立的な制度は考えられないと、教え子のN教頭が語ったのも嬉しいかぎりだった。
当時の荒れた空気は現在、全くといっていいほどないらしい。
その大きな理由は、親と教職員の仲がいいのと、職員室が明るいことだとN教頭は胸を張る!
そして、卒業式の教職員と子どもたちとの構成詞は今も続いてるというのだ
学校は楽しいところが基本
【本日の Good job✨】
きた~
27000円強なり!
カワイイ