まだ若かりし頃の話。
小学校の講師にH男がいた。当時は小学校、中学校の若い教師がよく集まって勉強会したり、遊んだりしていた。
H男は当時近くに住んでいたこともあり、先輩の私の後ろにくっついてプライベートでもよく一緒に行動していた。仕事のみならず恋の相談にものったものだった。よく飲みにも行った。
いつも、振り向けばH男がいた時代が確かにあった。
H男の結婚にもそれなりに協力したわさ。
そのH男がどんどん出世街道を歩き始めてから疎遠になったが年賀状だけは毎年律儀に届いていた。プライベートで会うことは全くなくなっていった。
校長になり、病気になった。
そして、60歳を迎えることなく天国へ旅立ってしまった。
H男の子どもたちが今では教師になってるそうな。保育園の頃、会っただけだが…。
数日前、H男の嫁がkinco-yaに顔を見せた時、亡くなる一月前の写真を見せてもらった。痩せこけていた。目と口元はH男のままだった。
H男が現在住んでいる我が家に来たことがある。
コーヒーを飲みたいというので張り切って淹れた。
当時我が家のコーヒーはインスタント専門だったが、挽いたコーヒーはあるにはあったのだ。ただし、長い間置きっ放しの粉だった。
H男は、美味しいとも言わず、文句も言わず飲んでくれた。その時の?のH男の顔が焼き付いている。
後々、コーヒーの味云々を少しはわかり出した時、香りもない不味いコーヒーを飲ませたことを後悔した。
何度か偶然出会って喫茶店で話したことはあった。H男はすでに出世街道を歩んでいて府教委に籍を置いていた頃だった。私に組合活動をやめられないかと忠告してくれたが…
いつか美味しいコーヒーを淹れてH男に飲ませたいと思っていたが、叶わなかった、と嫁に話した。
本日、嫁が再度kinco-yaにやって来た。小さな空のボトルを持って。
「主人に美味しいコーヒーを淹れてやって下さい。」
そして、
「この間の主人の写真は忘れて下さい。今日はまだ元気だった頃の写真を持って来ましたので。あんな写真を見せてしまって主人に怒られます。」
微笑んでいるH男が写っていた。
小さなボトルに2人前のkinco-yaブレンドを丁寧に淹れた。
嫁の気遣いにこみ上げるものがあった。感謝
【本日の Good job✨】
ついこの間ご夫婦でランチに来てくれて、感動の対面をした泉ヶ丘時代の同僚、アイさんが5人のおばちゃん団体でランチに来てくれはった。
見事なグラジオラスとゴーヤも一緒に。
ゴーヤは7~8本あったけど欲しいお客様にお裾分けしていたら、1本だけになってしまった。
この1本は大好きなゴーヤチャンプルーにするぞ!